小学校の同級生の父親が逮捕され、懲役11年の判決をくだされた。
その小学校の同級生については印象深い。
当時、担任に頼まれてなんやかんやでよく彼が住む父方の爺ちゃんの家にお邪魔した。
彼の爺ちゃんの家はうちの爺ちゃんの家とは隣のマンション、徒歩30秒足らず。
前々から彼んちの事情は知っていたけど、これほど大きなニュースになると、あの時のあの映像が鮮明に蘇る。
あの「事件」あるいは「革命」。それとも「反乱」なのか。
性格の定義を下すのはまだ早いようだ。
尚早でしょう。
だって、当時小学生の私が26歳になったいまでも、まだ公に語られない状態にあるだもの。
13億の人口を抱えている大国が、いま、長い冬眠から目が覚めようとしている。
だがしかし、この大国自身は13億の人口だけを抱えてはいない。
そこには、たくさんの時限爆弾も抱えている。
「平和」が一番!
経済発展にも、国の安泰にも、国民の生活にも。
けど、時限爆弾はいつ時間切れになるのか。
この「平和」がいつまで持つものなのか。
いいえ。
むしろ、時限爆弾はもう次々の爆破している。
大国はいま、
その爆弾の破片を一所懸命に拾い集め、
他の爆弾に火種が飛ばないように懸命にお掃除をしているようだ。
爆弾は爆破すべきなのか、
それともこの爆弾を隠し続け、いまの「平和」を歩み続けるのか。
どのみちが正しいのかは、誰にもわかりゃしない。
だけど、爆破しようとする人。
そして、自爆した彼のお父さん。
また、「平和」を守ろうとする官僚。
その原点は同じなはず。
どの時代にも過激派はいる。
過激派がいるからこそ、国は前進する。
過激派との戦いのなかで、己の思想がたくましくなる。
同級生はいま、どこでどうしているのかを案じる。
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