今日の授業は衝撃的だった。
ケネディ大統領をそこまで愛せるなんて、すばらしい。
いや、そこに衝撃を受けたわけではない。
かつて、自分の時間を犠牲にして研究者になりたく勉強するのに苦と思わなかった。
しかし、いまは違う。
話少し違うが、人には他人に言えない−言いたくない、表現できないの−ことはあるよね。
そもそも私はなんで研究者になりたかったのかがそこにある。
言えない。
むしろ、消したい過去である。
さらにもう1つの理由がある。
自分のやっていることに、一体なんの意味があるのか。
それは単なる自己満足にしか過ぎないじゃないか。
笑われるかもしれないが、このまえのシバトラSPをみた。
そのなかの台詞。
結局世間は私を凶悪犯としかみない。
いくら更正したとしても、いくら虎ちゃんが信じてくれても私は凶悪犯にしか見られていない。
それがまさに現実の社会。
この台詞にかなりの衝撃を受けた。
あなたは自分の研究対象と自分の出来事(これから出会うだろうの事、人間)を客観的に区別してみられます?読んでいる本と研究しているものと現実の人間や事に重なる事はないですか?そんなとき、怖くありませんか?まるでその裏を見ているように....

2 件のコメント:
研究する意味は,「研究している間」はわからない.意味が決まるのは,その研究がどのような刺激を社会に与えるかということ.後からしか研究の意味はついてこない.だから,自分の研究が無視されてようとも,意味がある.なぜなら,「自分の研究テーマ」は,今の社会に求められていない.ということがわかるから.それは,「今の社会を映している」コミュニケーションに他ならない.
というか,「研究の意味」とか考えないで~.私の研究テーマだからw
コメントの結論がめっちゃウケる。
しかし、そうかもしれない。いや、そうだよね。「今の社会を映しているコミュニケーションにほかならない。」うん!!
「その研究がどのような刺激を社会に与えるかということ。」うん!!
そうね。。。
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