おばちゃんが亡くなってから10日を経とうとしている。
旦那も母も仏陀や神の存在を信じない人。もちろん魂魄や輪廻転生も信じやしない。彼らは目に見えないものしか信じない現代人。しかし、人の主観というものは目に見えず、手で触れない。人がこの瞬間に息をしなくなって、物理の体が死んでいく。だが、主観は一体どこへ。伝達道具としての体が死んだ瞬間に主観も消えてしまったのだろうか。
死んでみないと分からない。だけど、死んだらそれを生きている人たちに伝えられない。だから、それが謎のままになっている。
世の中に霊感を持つ人がいる。霊を見える人がいる。だけど、その能力を持つ人は稀であり、科学で証明をすることもできない。やはり、謎である。
話題を多少ずらすが、【因縁】という言葉がある。これもやはり佛教用語である。言葉の意味はとても簡単で明白である。それは、由来、ゆかりである。佛教では、何事にでもその理由がある。それが因縁である。因縁は今生ものかもしれないが、前世のものかもしれない。
凡人は簡単に輪廻の苦から離れられない。しかし、現世では「輪廻」はもはや苦ではなく、「死」に対抗する何かに変えつつである(もちろん輪廻を信じる人に限る)。
人は死に、魂は魄から離れ、次の肉体に入る前に前世の記憶を消されていく。魂は永遠に存在するもの。もちろん例外はある。生きている時に、悪なことをしすぎると神からも仏陀からも見切られ、地獄の第18階や魔界に落とされる。もっとも酷い事をし、18階にも魔界にも落とされず、魂自体を失い、この世から永遠に消される。反対に善事をし、認められれば輪廻を終え神界に上昇される。
いろいろ書いてきたが、全部仏教、儒教、道教などに関する宗教的なものである。これらの信憑性やその根拠は、宗教の定義によってくる。しかし、その定義もまた近代に出てきて、近代人が解釈したものである。
私たち生きている人間に見えない世界は本当に存在するのかは誰にも知る由はしない。
ただ、一種の人にだけ知る権利がある。死んだ人にしか知らされないのであろう。
たとえあるとしよう。
伯母、いま何処にいるの?この60年間近く、幸せだった?
伯母、幸せは一体なに?
伯母、来世はもっと幸せになってね。
伯母、本当に輪廻はあるの?
伯母、兄ちゃんもばあちゃんも悲しんでいるよ。でも、みんなはきっと大丈夫だよ。
