ラストフレンズを見て

 やることが無いからなのか、ソファに座っている自分が、いろいろ思った。
 
 前の大学の恩師があるインタビューに応じ、話したのは 
 自分が専門にしている学問ですが、どちらも本来的には不必要な学問だと思っています。」(佛大通信Vol.457より)
その先生の専門は犯罪社会学と社会病理学である。
 最近思うのは、犯罪社会学であろうが、社会病理学であろうが、もっぱら社会学というのは不必要な学問である。

 ドラマ【ラストフレンズ】
 いま、話題のドラマである。交際DV、性同一性障害、友情、夢等々の現代若者が直面している現実問題が描かれている。私的な理由でこのドラマを避けていたが、今日二話ほど見て、実に現実味深いドラマだと思った。
 人はみな、多かれ少なかれ悩みを持っている。
 人はみな、少なからず人に触れられたくない痛みを持っている。
 人はみな、一つや二つ他人に言えない秘密を持っている。
 それは人間関係かもしれない。
 それは恋の悩みかもしれない。
 それは考えて、悩んで、生き詰まって、苦しく仕方のないものかもしれない。
 このドラマのように、暴力や性同一性障害。友人に打ち明けると楽になる。
 それは実に簡単なことにみえる。
 しかし、それはどれほど勇気がいることなのかは、その本人にしか知る余地はない。
 自分が口に出す勇気、口にしてからの自分の気持ちを受け止める勇気さえ必要になってくる。まして、友人が理解してくれるかどうか未知数の不安がある。
 一人一人の生き様、周りの出来事。そして、何より本人があらゆることに対する受け止め方、感じ取る何かで、その人の人生が成り立っている。
 社会学はどのようにアプローチし、類似性を探し出し、解決法いや予防法を提案するというのか、多いに疑問を持ち始めた。
 人間には厄介な主観という観点をもっている。
 それは客観とは真逆な観点であり、ある意味ではコントロールのできない感情による観点である。
 ここで改めて言いたいのは、「主観」にしろ「客観」にしろそれは全て、われわれ人間が主体的に作りあげたものである。これもまた厄介なものである。
 人間は自ら作った「学問」を用いて、人類が作り上げた感情をコントロールしようとしている。しかし、人間が主体的に作ったものは、それは人類の歴史が作り上げた物である。それはむしろ自然体とでもいえるでしょう。

 だが、人類は何億年という、とてつもない長い年月を経て、今の状態にまで進化してきた。あらゆる動物よりも進化を成し遂げている。この星の王者になった。
 いま、自然破壊による気温の上昇、水不足などなどの環境問題が挙げられている。それは、人間が進化する中で起きたものであると考える。人口の増加、開発された様々な製品による大気汚染、エネルギーの所有権による戦争などなど。
 人類は、いまやっとその痛みを知り、対策を経て実行しはじめている。
 それと同じように、人間は進化する中で、主体的に思考することをでき、その思考のままにアクションを起こすことができるようになった。そして、何よりも人間は感情豊な動物である。その豊かな感情が、この人間社会にさまざまな落とし穴や心の病をもたらしてしまう。もしかしたら、それは「落とし穴」や「病」と定義してはいけないかもしれない。しかし、このいま、私たち生きているこの社会ではそう呼ぶ。だから、苦しむ人がいる。その人たちを助けるため、あるいはそれは本当に存在してはいけないものなのかどうかを検証する学問が必要である。それは、社会学である。
 
 考え、考え直してみる。
 本来、社会学は不必要な学問である。
 だけど、豊かな感情を持つ人類がつくったこの社会、より上質な生きる場を求める私たち人間は、この「社会学」を頼りに、より生きやすい空間を作りあげようとしている。
 必要性のない社会学は、この厄介な人間社会では、その必要性は大いにある。

  

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